笑いの理論 緊張の緩和 松本人志研究

桂枝雀が笑いとは緊張の緩和であると語っているんですけど、それについて松本人志はその通りだと思うって話していて、この緊張の緩和については桂枝雀が著作の落語で枝雀って本で体系だった語り方をしているんですけど、その中で合わせと離れという風に笑いを分類していまして
この合わせと離れっていうのを僕なりに解釈してみたんですけど、
 
 

 

 
 
合わせ                     離れ
ツッコミ                  ボケ
その通り                なんじゃそれ
批評                         発想
期待への呼応           期待への裏切り
 
 
 
こう言い換えられると思います。
 
離れの方は捉えやすいです。芸人のいわゆるボケがこちらの笑いです。
 
 
 
 
じゃあこっちの合わせ領域の笑いについてさらに詳しく見ていきましょう。
 
 
合わせをはだいたい批評と期待への呼応っていう分け方をすると捉えやすいです。では批評的な笑いをさらに詳しく見てみましょう。
 
まずは、風刺 これは端的に批評色の強い笑いであることがわかりますよね。皆がぼんやりと思っているようなことをズケズケと毒舌で言ってその通り、と笑わせていく。ビートたけし爆笑問題がやっています。
 
 
あるあるネタ     これも笑いの質としては批評なんですよね こういうことってあるよねって提示していって、見ている方はそのとおりって笑ってしまう。あるあるネタっていわゆるあるあるネタ芸人だけがやっているわけじゃなくて細かく見るとコントとかの最初の方でたとえばコンビニのネタなら最初にコンビニで実際にありそうなネタをいれてたりするんですよ。合わせの笑いはわかりやすいのでツカミとして使われるとこが多いです。
 
ものまね
ものまねの何処が批評なのって言われそうですが
これも実は批評性の笑いなんですよ。対象の特徴を捉えて大げさに見せるのがものまねなので。見ている方はそのとおり、そっくりだと笑ってしまう。タモリのネタに寺山修司になったふりをして寺山修司のいいそうなことをいうっていうネタがあるんですけど、これなんかははっきりと批評であることがわかりますね。
 
こっからはあわせ領域の中から期待への呼応っていう質の笑いの具体例を挙げます。
 
一発ギャグ
中学の時、当時ダンディー坂野のゲッツって一発ギャグが流行ってたんですけど英語の授業にたまに来るアメリカ人の先生がなんで日本人がこれで笑うのかわからない。同じことを何度も繰り返して何が面白いのかわからないっていってたんですよね。
これはねえゲッツとか一発ギャグを最初に見たときはなんじゃそりゃで笑うので普通にボケ、離れの笑いなんですけど、何度もやると、見てる方もあれやってあれやってってなって、実際にやるときたーって期待への呼応が起きて笑うとそういう感じなんですよ。ズレの笑いやいかにもアメリカ的な風刺の笑いとも違うので外国の人にはなんで笑うのかとなってしまうのかもしれないですね。
アメリカのコメディを見ていてもそのドラマの中での毎回おきまりのギャグってのがあったりするので、海外にもこういう質の笑いがないわけではないんですけどね。
 
 
てんどん、同じボケを何度も繰り返すやつです これは松本人志もテクニックの一つとして多用してますね。同じボケを漫才の中で3回繰り返すとして一回目は離れの笑いです、2回目はまた同じボケが来るのかっていう意外性で笑わします。なのでまだ離れの笑いです。2回目までは離れの笑いなんですけど、3回目で質が変わります。3回目になると見てる方もあのボケがまたくるぞ、くるぞと期待して実際にそのボケがくるんで期待への呼応が起きて笑うんですよ。なのであわせのわらいなんですよね。
 
合わせの笑いっていうのはこういうのがあるんですね。
 
 
 
松本人志は体系だった語り方こそしないがラジオや書籍でのポツリポツリと言っている発言を繋げると松本の捉える笑いの地図が見えてくる。
桂枝雀にかなり近い笑いに対する体系みたいなものが見えてくる。
 
松本人志は笑いとは裏切りである。って語っていて、右の離れの側、発想の側の笑いを追求していることがわかります。
 
 
松本人志が過去に嫌いだと言っていたことのある笑いをまとめてみると全部左側、合わせの側の笑いなんですよ。
 
どういう風に嫌いだって言ってたかというと
 
風刺は普遍性がない。笑いの取り方として安易だと
 
記憶を突いているだけでそりゃ笑うだろうが、それをするよりは滑っててもいいから自分でボケを考えている芸人を評価したい。
 
ものまねに関しては
 
なになにですよねほにゃららさんって言うモノマネで使われる振りがありますよね?
 
例えばなになにですよねさんまさんって振られると、振られた人はさんまのものまねをするっていうあれです。ダウンタウンが笑っていいともに出ていた時こういう振りを松本人志がされると振られたひとのものまねを振られるままにするのが嫌で全然違う人のものまねをして煙たがられていたと言っていました。
 
一発ギャグ
 
後輩の吉田ヒロの一発ギャグをパクって使っていたことがあるが何回か使うとあのギャグやってっていう空気が出てくるからもうやらなくなると言っていました。
 
振られたこと、期待されたことをそのまま答えるっていうのをすごくきらっているらしい。
 
松本人志は笑いとは期待への裏切りだと断言しているので期待に応える合わせの笑いの方向では積極的に笑いをとっていかないんですよね。
 
 
ひたすら発想で見ている方の期待を裏切って笑いを作っているんだというのがわかる。
松本人志は体系だった語り方こそしないですけど、一つ一つの発言をつなげれば、桂枝雀の合わせ離れと符合するような大きなラインが見えてきます
非常に笑いに関して一貫性のある捉え方をしていて論理的です。
 
 
爆笑問題太田光なんかは芸人の中では知識が多そうですが笑いに関しては論理的には捉えられていない、かなり感覚だけで作っているように感じられます。
 
 
 
爆笑問題のラジオでものまねってどうして笑えるのかって話をしていて いて太田光はいないいないばあで赤ちゃんが笑うのとおなじだって言ってたんだけどいないいないばあとものまねは全く質の違う笑いです。いないないばあみたいな笑いや、いわゆるドタバタギャグは合わせと離れには含まれない部分の笑いです。これは詳しくは桂枝雀の著作、落語で枝雀を読んで貰えばわかります。